わが街、鹿沼では四季を通して、様々なイベントが開催されています。
このページでは、そんなわが街を紹介させて戴きたいたいと思います。
さて、今回は、10月に行われる、かぬまっこの一大イベント≪鹿沼秋祭り≫について取り上げたいと思います。
鹿沼秋祭り
毎年10月の第二週の土・日曜日に行われます。(今年は、10月13・14に行われます。)初日の土曜日は、市の中心にある今宮神社の祭り、二日目の日曜日は、鹿沼市民祭りとなっています。今宮神社の氏子である、各町内のほとんどで、彫刻で飾った屋台(一般的には山車と呼ばれますが、鹿沼においては、彫刻屋台呼ばれます。)を所有しており、氏神である今宮神社に奉納の為に参集するわけです。氏子各町内の屋台が、神社の鳥居をくぐって、突入する<繰り込み>は付け祭り最大の見せ場となっています。また、境内に勢ぞろいした屋台は日没と共に、一斉に提灯に火を入れ、お囃子の響く中、神社を後にしてそれぞれの町内に帰って行きます。
〜今宮神社付け祭りのあらまし〜
戦国の世が過ぎ、一時荒廃していた鹿沼宿は、慶長13年(1608年)3月、今宮神社の再建を期に復興が始まりました。この年は日照りが続き大旱魃の気候となりましたので、氏子や近郷の人々が今宮神社に集まり雨乞いの祭りを三日三晩続けたところ、霊験あらたかに激しい雷雨がおこりました。この霊験を敬い、雨のあがった6月19日(旧暦)を宵祭り翌20日を例祭とすることになったのが、今宮神社の祭りの始まりと伝承されています。付け祭りの内容は、最初は簡単な「踊り屋台」で各町内が踊りと狂言を競い合い奉納したものです。文政の改革(1827)天保の改革(1841)にて、華美な風俗が禁止されると、各町内は競って屋台を全面彫刻で飾るようになりました。江戸末期には、今宮付け祭りの主流は彫刻屋台に移行し、祭りの見せ場は今宮神社への繰り込みと繰り出しとなりました。神輿巡幸は明治15年(1882)に旧来の諸行事執行を時勢に合わせて手直しを加え、今宮祭典議定書を制定し現在の形が出来上がりました。「今宮神社付け祭り及び神輿巡幸習俗」は鹿沼の庶民階級の素晴らしいエネルギーを今に伝え、古習を伝承した最高の祭りと言えるでしょう。平成6年1月、栃木県無形民俗文化財に指定されました。
〜彫刻屋台〜
現在今宮神社氏子各町内には27台の屋台があり、そのうち13台は江戸時代に造られた彫刻屋台です。構造は単層館型で四つ車、屋根は唐破風つき、彫り物は富田宿(大平町)の彫師集団磯部氏らの手によるもので、日光五重塔(再建)の彫物方棟梁をつとめた後藤正秀のような名工もいます。白木造りのものと黒漆塗彩色のものに分けられ、現在の形をとるようになったのは19世紀初めごろと思われます。明治以降も屋台は造られ、近年には新しい花屋台にも彫刻を取り付ける動きが出ています。彫刻屋台は、木工の街・鹿沼のシンボルとなっています。
わが町内の彫刻屋台です。昭和30年製作の屋台です。平成4年から、富山県井波町の彫刻師・笹川無門氏の製作にて、高欄下の竜、脇障子の鷹、欄間の十二支などの彫刻で屋台全面を飾りました。